福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.118(H08/1996.7) -004/042page
2 研修の技法(どのように研修するか)
研修のジャンルは、先に書いたように、多岐 多様である。ここではわずかに校内研修のみを 視野におき、その技法について考えてみたい。
教師は、ある学校に在籍することによって、 数年間、他の教師たちと協同し連帯し、学校の 教育目標の達成に専念する。学校は、教師たち にとっていわば運命共同体なのだから、校内研 修は、教師たちの連帯感、学校への内的な共属 の感情が醸成されるような雰囲気の中で行われ なければならない。しかも、研修は、学び合い ・共育の場と機会なのだから、ゆったりした時 間と空間の感覚を享受できるように設定されな ければならない。多忙な校務のあいだを縫うよ うにして、時間に追われてのおざなり研修が続 けば、研修は空洞化し形式化し、何の成果も生 み出さないだろう。校内研修の設営にさいして は、研修が本来もっている意味からして、行政 サイドなかんずく学校内管理職のすぐれた見識 と寛容が期待されることになろう。
研修は学びの場であり、単なる伝達講習の場 ではない。抑圧的で権威主義な雰囲気は、研修 の本来的な在り方をそこなうことになる。学び 合いの本質的条件は、風通しの良さ、遠慮のな さという民主性の薫風である。教師が自由に意 見を開陳し、遠慮なく同感や共鳴を表現でき、 相互批判が寛容に許容されるような雰囲気が必 要である。萎縮や遠慮は、校内研修を空疎なも のにするだろう。校内研修にあっては、教師た ちがみずからを絶対視することなく相対化し、 相互に屈託なく知識と技能と経験を交流できる 雰囲気が保障されていなければならない。明朗 闊達でおおらかな雰囲気での研修こそが、相互 触発的に教師の静かな自己変革をうながし、明 日からの教壇の授業を活性化し、学校全体の教 育を充実させることになるだろう。
もう一つ大事なことは、学校独自の個性的な スタイルと内容をもつ研修を創造することであ る。教師なら誰しも、子どもの個性の尊重を語 り、子どもの秘められた豊かな可能性を口にし、 その可能性を創造力に結びつけることこそが教 育の使命だ、と熱っぽく語り続ける。その場合、 教師は、なぜ自分の個性や可能性や創造性につ いて語らないのだろうか。とうの昔に子どもで あることをやめた教師には、個性は薄れ、可能 性や創造性は個渇したとでも言うのだろうか。 それは、行き過ぎた自己卑下でしかあるまい。 個性・可能性・創造性を教育のキーワードにす る教師は、みずからの校内研修を個性ゆたかな ものにする可能性を追求し、自分の学校に独自 の研修会を組織できるよう創造性を発揮すべき であろう。校内研修が他校からの輸入品であっ たり物マネであったり、校内研修のたびに新鮮 なメニューを用意できずにマンネリ化するとす れば、それは、教師の怠惰の証明でしかない。 教師みずからが個性的なスタイルの校内研修を 創造的に設営できないとすれば、子どもの個性 と創造性を語る資格を失うことになろう。
校内研修は、大ていの場合、授業内容や子ど もの生活指導に関するものだ。パターン化され 画一的になりがちだ。時には、校内研修が脱教 科的であったり、生活指導とは無関係のものが テーマ化されることがあってもよいのではない だろうか。たとえば、「私の宮沢賢治論」「私 は『銀河鉄道の夜』をこう読む」「『星の王子 さま』をどう読むか」。「古典文学に現われる いじめの問題」「いじめ問題解決のヒント― ローレンツ『攻撃―悪の自然誌』を読んで」 といった研究報告と討論があってもよいだろう。 「この夏、私はヨーロッパ―私は異文化をこ