福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.121(H09/1997.7) -003/042page

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 「生きる力」とはどんな力であろうか。答申もさまざまな観点から説明はしているが、結論的には「自ら学ぶ意欲と時代の変化に主体的に対応できる能力」という現行指導要領の内容とほとんど変わらない。また、変える必要もないであろう。

 つまり、今日の学校教育をめぐる問題は、「新しい学力観」のねらいにあるわけではなく、それが達成されていないことにあることは明白なのである。

 ところで、不透明で、前例が通用しない時代になればなるほど、「社会の変化に主体的に対応」して生きることは困難の多いものになる。ということは、ますます充実した「生きる力」が必要になるということである。

 なお、文字どおりの「生きる力」は学校教育だけで育成されるものではないし、いわんや授業だけで形成できるものではない。しかし、今、最も厳しく問われているのは授業のあり方であることは再確認しておきたい。

 さらに、授業と「生きる力」との関係については、もう少し明確にとららえておく必要があると考える。そうでないと、課題がどこにあるかが暖昧になるからである。

 ひとことで言えば、授業でできることは「生きることにつながる(影響を与える)力」を育成することだ、と考えてよいであろう。授業では、それ以上のことはできないし、それで十分だからである。

 もちろん、これが容易ならざる仕事であることはいうまでもない。

3 改めて教科目標を考える

 「生きる力」は「新しい学力観」が目指しているものとそれほど異なるものではないとすれば、それを達成するための現行の各教科目標もそれほど変える必要はないであろう。

 例えば、中学校社会科の目標は、次のようになっている。小学校も高校も基本は全く同じである。


 広い視野に立って、我が国の国土と歴史に対する理解を深め、公民としての基礎的教養を培い、国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。


 今日、社会科は暗記教科の典型であるというのが生徒たちの常識になっている。知識をいくら大量に暗記しても、これらの目標が達成されないことは明瞭である。また、このような「公民的資質の基礎」として何をすえるかの課題はあるが、それが「生きる力」の重要な要素になることは多言を要しないであろう。

 つぎに、理科の目標について見てみよう。


自然に対する関心を高め、観察、実験などを行い、科学的に調べる能力と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め、科学的な見方や考え方を養う。


 いわゆる「理科ばなれ」は、授業のあり方だけが原因ではないし、同様の現象は理科にかぎるわけでもない。しかし授業について見た場合、社会科と同様に、このような目標が達成されてないことこそ問題なのである。

 数学についても触れておきたい。「厳選」にかかわって最も難しいのは、学問体系が確


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