福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.122(H09/1997.11) -003/042page

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 “教師は授業で勝負する"などと広言し、若い時からそれを鉄則としてきた私にとっては、心に響く厳しい話であった。もっと視野を広げて、教師は人間で勝負したいものである。そして、時には、時にはである。緑がとてもすてきな福島競馬場で勝負するのも悪くないと思うのだが………。

  ●継続的でなければ、いじめではないのか

 町内の小学校6年生の男子の一人が、5,6人の同級牛からトイレでパンツを脱がされ、足蹴にされたとの報告が学校からあった。だいぶ日数がたっているので理由を聞くと、なんと 「いじめとは、自分より弱い者に一方的に身体的、心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの と文部省では定義しており、この事例は継続的でないので、いじめではないと考えました。」との返答であった。

 私はこれを聞いて唖然とした。これだけの行為があったのなら、何回か続けられたであろうとの判断ができなかったのか。継続的に行われていたが、教師が確認したのは1回だけであったとどうして考えることができなかったのか。不思議にさえ思った。

 文部省では、いじめを定義する時、その留意点として、 「しかし、深刻でなくとも、継続的でなくとも、いじめの現場を見たり、訴えがあったりした時は真剣に受け止め、解決のために全力を尽くすこと。」 と明記しているのに。 世間でいう常識ある教師になってほしいと、痛切に感じた一瞬でもあった。

 ○ 光輝く一人一人の違いを大切に

  ●高校中退と東大卒の違い

 甥の話で恐縮だが、私には同じ年齢の二人の甥がいる。ひとりは高校を中退して、現在は福島市内で店員3名のスナックのチーフ(A男)として元気に働いている。もうひとりは、東大を優秀な成績で卒業し、張り切って中央官庁に勤務している(B男)。二人共小さい頃から腕白坊主であったが、素直なところがあり、隣近所からよく可愛がられた子供であった。小学校や中学校の頃の成績は同じ位、むしろ音楽や体育の技能はA男の方がすぐれていたと記憶している。高校は、それぞれ別だったが、最終的には高校中退と東大卒というかなり違った結果がでた。

 二人のどこが違っていたのか。何が原因でそうなったのか。私なりに考えてみたが、これだという違いがどうしてもわからない。ただ、高校在学時代のことだが、雨の降った日、A男の父親は車で息子を学校に送り、B男の父親は3年間1回も送り迎えはしなかったということはあった。遅刻しそうになると車を走らせ、電話が入ると、「OK、OK」と言って、いっでも迎えてもらったA男、「車でなければ駅まで行けないのなら、学校なんか休め一」と厳しく断わられたB男、ただそれだけの違いのような気がしてならない。

 今、子供への甘やかしが問題になっている。親も教師も、時には自信を持って、「ノー」と言える厳しさがほしいと願うのは、私だけだろうか。

 ここだけの話だが、「おじちゃん、また飲みに来て。」というA男は、性格も学力の程度も私にそっくりのようで、可愛くてたまらない。

  ●どうしてあなたは、みんなのやることができないの、まったくー


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