福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.122(H09/1997.11) -005/042page

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 4 高い杉の木を見たその時よりも、あとで自分の心を見ると、あの三角形のすばらしい形がいつまでも残ります。木は大切にしないといけません。

 5 大木は、高さ、太さ、そして機嫌のよい緑が要素になるのではないでしょうか。

 6 先祖代々、木がすきでした。老木に対するあこがれ、思い出はだれにでもあるでしよう。

 7 大木(巨木)として現在残っているものは、二つの型があると思います。すばらしく素性のよい超エリートの木か、それともコブがあって姿が悪く、使い道のない悪い木かのどちらかです。この大杉は超エリートではないでしょうか。

 8 父露伴は北海道から東京へ帰る時、二本松から郡山までを野宿し、露と伴に寝たので露伴と命名しました。だから二本松はなつかしいところです。(車の中か)ら安達太良山を眺めながら、しみじみと語られた)私や娘は何か苦しいことがあると、「どうせ私は野宿者の子だ。何もこわくない。」と開き直れます。だから何事も気楽にできます。気楽に生きていけます。

 9 (何かと大杉のことに詳しいので、前においでになられましたか、と尋ねると)私は録画撮りの前に東京からひとりで下見に来ました。大杉と対面した時にドギマギしてはいけないので……………。

 10 (郡山駅前のラッシュを見て)、街に来ると、どこでも人や車の様子は同じですね。都会の人はどんな人でも(車の渋滞に)耐える心ができています。そうでなければ都会では生きていけません。

 本物の明治の香りのする女性で、渋い細い縞のお召しが印象的なとても美しい方であった。そして、私にとっては雨上がりのあの大杉のように、心洗われたひとときであった。特に9番目に記した下見の一件は、私自身にその言葉を返してみた時、自分は、ドギマギしないだけの教材を研究したり子供の実態を把握していただろうか、という過去への反省も加わって、女史のすばらしさに改めて心を打たれたのである。

 周りの子供から、同僚、先輩、先人から謙虚な心で多くを学びたいものである。メシの種はいっぱい転がっている。

 ○ むすび、先生方へ感謝をこめて

 中教審では、ゆとりの中で生きる力をはぐくむ教育を目指し、個性尊重の考えで一人一人の能力、適性に応じた教育の展開を強調している。今、現場の先生方は大変な時期を迎えており、毎日の指導に汗を流されている。心より敬意と感謝を申し上げたい。

 そんな時期に、「こんな学校ならいいな、こんな先生ならうれしいな」という名のサブタイトルで、勝手なことを一方的に書いたが、これらのことは、私が教職時代にできなかったことや反省したことに願望を含めて書いたものであり、いわば私の懺悔録でもある。もっとも懺悔の値打ちもないと言われるならそれまでだが…。

《渡邉 昭先生のプロフィール》

1936年 伊達郡霊山町掛田に生まれる 県立保原高等学校 福島大学学芸学部卒業後 東白川郡鮫川小学校 伊達郡月舘小学校 同醸芳小学校 双葉郡楢葉北小学校教諭を経て 1978年 伊達郡大枝小学校教頭 1981年 県北教育事務所社会教育主事(岩代町派遣) 1984年耶麻郡市沢小学校長 1987年 県北教育事務所管理主事 同管理課長 1990年 伊達郡上保原小学校長 同保原小学校長 1993年11月より 伊達郡保原田王教育委員会教育長に就任 現在に至る


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