福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.123(H10/1998.2) -002/042page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

特別寄稿

岡部写真

       授業改善のための試考

        〜「生きる力」を育む授業〜

             前郡山市立芳山小学校長 岡部文雄

1 はじめに

 学校は人間が生み出した最高の傑作と言われているが、不脊校をはじめとする子どもたちの多様化する問題行動の増加傾向に、その存在すら問われている。

 明治の近代学校発足以来、我が国の学校教育は学力の向上をめざし、授業改造を核に教育改革に必死になって取り組んできた。授業づくりを中心とした学習指導法の研究の歩みは、我が国の学校教育の歴史そのものであるといっても過言ではないだろう。

 しかし、近年は学習指導要領が変わるたびに新たな理念が誕生して、授業改善を難しくしていることも確かである。前回改訂での「ゆとりと充実」も、現行の「新しい学力観」も、新しい時代にねがいを託したすばらしい理念ではあったが、残念ながら流行語として短い寿命で終わってしまいそうである。

 そして、次回改訂の理念として掲げられているのが「生きる力」である。21世紀をスタートするにふさわしい教育の理念であるとは思うが、授業を通してどうアプローチしていくか、学校の悩みは続きそうである。

2 あえて学校の存在を問う

 時代がどのように変わろうとも、大勢の子どもたちが基礎的・基本的な知識や技能を学び、文化遺産の伝達を得るうえで学校ほど効率的なしくみはないだろう。

 だとすれば、学校は何をするために存在するのかという問いに対し、授業を通して子どもを育てるところであると、胸を張って応えることができなければなるまい。即ち、学校の教育活動とは授業をするところであり、学校の仕事の核は授業であるということは疑う余地のないところである。したがって、学校の存在が問われているとすれば、授業そのものが問われていると言うこともできよう。

 では、問題の所在はどこにあるのだろうか。考えられることは、学習指導要領が改訂されるたびに掲げられるそのときどきの教育理念が、不易なものとしてではなく、流行語としてとらえられていたのではないかということである。そこで、改訂のたびに振り子現象のように揺れていたように思われる。

 学校教育の目標を要約すれば「子どもたちのかしこさ」と「豊かな人間性(人間的感性)」の育成である。前者は国民として必要とされる基礎的・基本的な内容の重視であり、後者は豊かな心をもちたくましく生きる人間の育成のことである。

 したがって、この二つの内容のバランスを保つ学校教育の構想と、授業を通してどのように具現していくかが問われることになる。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。