福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.123(H10/1998.2) -003/042page
3 授業改善を阻んでいるもの
(1) 学校のしくみの問題
「新しい学力観」に基づく、一人一人の能力や個性を生かし、自ら学ぷ力を育てるための授業づくりも、旧態以前の学校のしくみのままでは、どのように努力しても限界がある。
一斉指導向きに作られた校舎や教室の構造、45分(小学校)50分(中・高等学校)の固定化された時間割と教科書教材を重視した過密な内容など、革袋は古いままにして新しい酒を注ごうというのだから無理が生じる。
年間授業時数も、標準時数という考え方で弾力化が図られたのだが、運用のしかたは消極的である。最低の時数さえ割らなければという時数の増減の問題にすり替えられている。
授業は、目標の達成状況でとらえなければ、いくら時数を重ねても意味がない。目標達成を優先する発想の転換が必要であろう。
同暦年齢による固定化した学級集団での、同じ教科書や補助教材使用の授業では、能力差や進度差への対応は無理である。
(2) 受験競争の現実
新しい教育が志向する、受験学力から豊かな学力への転換が叫ばれて久しい。にもかかわらず、高校・大学入試に代表される受験競争の現実は厳しく、偏差値優先の教育指向には依然として根強いものがある。
全国チェーンのファミリーレストランの如く塾産業とまで呼ばれ、次々と流されてくる学習材を、早さを競って詰めこむ。産業界のスピードと効率の原理がそのまま教育界にも浸透している現実。
(3) 広がる矛盾やすり替え
教育そのものが矛盾を含むものであることは理解していても、広がる矛盾やすり替えによって授業の改善を難しいものにしている。
「ゆとりと充実」に逆行するかのように、さまざまな社会問題が持ち込まれている。環境教育・国際理解教育・性教育・情報教育・安全教育等々、目白押しである。なのに、学校週5日制の導入で、時数は削減の方向にある。
家庭教育や社会教育との連携や充実が叫ばれても、急には変われるものではなく、学校の負担が増すばかりである。
一般化と個性化の問題も大きな壁になっている。誰にでも再現可能なものを求める一般化への指向性は必ずあるし、その一方で個性化、特殊化の方向に働く力も強い。この両者の緊張関係を保ちつつ、この場面ではこちらを前提としてこそ、他方も成り立つという考え方が授業の本質なのだろうが、カタチを重視してきた伝統が異質なものの共存を阻んでいる。
目的と目標、評価と評定の混同などもあげられよう。極端な言い方をすれば、過程重視だから結果はどうでもいいという考えや、評価のために授業をしくむといったことまで生じる。
学校は子どもにとって楽しい場でなければということを強調するあまり、授業を通しての学ぶ喜びや楽しさを求めずに、楽しい行事等にすり替えられているとしたら論外である。
4 「生きる力」を育む授業について
(1) 「生きる力」について
答申の中の一部を引用すると、「我々はこれからの子どもたちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、〈1〉 自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力 であり、ま