福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.123(H10/1998.2) -004/042page

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た、〈2〉 自らを律しつつ、他人とともに強調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人問性 であると考えた。〈3〉 たくましく生きるための健康や体力 が不可欠であることは言うまでもない。我々はこうした資質や能力を変化の激しいこれからの社会を『生きる力」と称することとし、これらをバランスよく育んでいくことが重要であると考えた。」

 すなわち、これからの変化の激しい社会において、いかなる場面でも他人と強調しつつ、自律的に社会生活を送っていくために必要となる「人間としての実践力」であるとしている。

〈1〉の部分は知、〈2〉の部分は徳、〈3〉の部分は体に相当するものと考えられ、「生きるカ」を育むとは「知・徳・体」のバランスのある発達をめざす教育ということになる。

 このように、教育の総てを網羅した表現であるから、学校教育だけでは当然覆いきれないもので、ましてや授業でとなると雲を掴むようなことにもなりかねないだろう。

 しかし、学校教育の核が授業であるという前提に立てば、避けてとおるわけにはいくまい。「新しい学力観一がそうであるように、「生きる力」も学力の視点からとらえれば「人間的学力」そのものである。

 (2) 授業構想にあたっての基本的な考え

・ 人間的学力として、新しい学力観の延長線上でとらえる。
・ 断片的でなく、継続的にとらえる。
・ 平面的でなく、立体的にとらえる。
・ 到達的でなく、過程的にとらえる。
・ 減点主義でなく、加点主義で考える。
・ 最終判定でなく、未来への展望を与える。
・ 画一的でなく、個性を重視する。
・ 異質なものの共存とバランスを考える。

 (3) 授業改善のポイント

 前述したように、授業改善の前には高いハードルが幾つも並んでいる。したがって、これらのハードルは飛び越えることが可能であるという前提のもとに、抽象的で断片的になることを承知のうえで論じることにする。

 1 ねらいのしぼり込み

 「ゆとりと充実」も「新しい学力観」も、すばらしい教育理念ではあったが、学校の血のにじむような努力に比し、どれほどの成果を見ることができたか、甚だ疑問である。

 理念(用語)だけがひとり歩きし、実践するための理論の構築がままならなかったように思える。とりわけ、教育の総ての内容を含む「生きる力」を育む授業を構想するにあたっては、その中心となる概念に何を選ぶかが最も大事になるだろう。あえて挙げるなら、「自分で考える力」と「自分で表現する力」であろうか。これらは、新しい教育を実践するにあたって最も基本となるもの、授業の核となるもの、学力を貫くものとして考えられるからである。

 3 価値観の確立

 新しい酒は新しい革袋にを引用するまでもなく、新しい学力を育むためには、新しい授業が必要となることは言うまでもない。しかし、方法論に走る前に、授業についての価値観(教師のねがいとか理念)をしっかりと確立しておくことが大切である。

 具体的には、授業観、教材観、指導観、児童・生徒観で、教師が授業に関してもっているねがいである。これが授業づくりの方向づけをするものである。そこで、「わかる授業」をめざすのか、「楽しい授業」をめざすのか、「自己表現できる授業」をめざすのかが明確になる。

 加えて、「生きる力」を育むとなると「次の


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