福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.123(H10/1998.2) -005/042page

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世代に伝えるべきことは」「未来を託す了どもたちにどのような教育を」「21世紀にはこのような文化が育ってほしい」といった人間観が背後から迫ってくるだろう。したがって、教師自身の生き方や人生観といったものも問われることになる。

 3 学習の形態と方法の多様化

 授業は、それぞれの学級の独自性や、全く同じ授業は二度と繰り返されない一過性という特徴がある。しかし、一方では共通性や一般性も兼ね備えているという、まことに不可思議な生き物である。

 そこでまず考えられるのが、学習形態の問題である。学力の国際比較によると、日本の子どもの算数・数学と理科の水準が非常に高い。平均値が高く、みんな同じような成績である。これは画一的よさともいうべきもので、日本の学校教育が築きあげてきた一斉学習の成果であろう。しかし、平均点は高いが優れた人、極めて突出した人は少ないという。ここが一斉学習の限界なのである。知識・理解・技能は短期でとらえられるが、関心・意欲・態度は長期でないととらえられないからである。

 したがって、授業改善の一つの視点は、学習内容に応じた一斉学習、グループ学習、個別学習の組み合わせとともに、単位時間から単元重視の方向への転換である。

 次は、学習方法の選択とその組み合わせの問題である。プログラム学習、発見学習、完全習得学習、仮説実験学習、有意味受容学習、問題解決学習等、すばらしい成果を挙げながらも、流行の如く新しい方法の導入とともに次々に消え失せようとしている。

 新しい学力を育む授業は、一つの学習方法だけでは成立しない。それぞれの学習方法のよさと限界を理解しつつ、
・教材内容に応じた学習方法の選択、
・児童・生徒の実態に応じた学習方法の選択、
・個々の特性や二一ズに応じた学習方法の選択
等、その多様化が問われる。

 そして最後は、複数の構造が求められるという問題である。教科の特性や教材内容の違い、さらには発達特性と個々の能力に応じたレベルの問題などを加味しながら、授業をどうしくむかである。したがって、複眼的な視点をもつことが最も重要なことになるであろう。

5 おわりに

 授業から離れてしまった者が授業について論じても説得力がないだろう。ましてや、「生きる力」について確たるものを持ち合わせていないのだから、イメージ化することすらままならず、机上の空論にならざるを得ない。

 それでも、あえて外野席からのささやかな応援のつもりで、試考という逃げの姿勢で論じてみたのだが。

新しい授業づくりは、新しい学校づくりが前提となることは言うまでもないが、新しいことに挑戦し続けることもまた教師の使命である。

 しかし、全く新しい'ものをと気張らず、「新しい学力観」を不易なものとしてとらえ、「生きる力」も、その延長線上で考えていくことが大事なのではないかと思う。

《参考文献》

・教育展望 '97・9・11・12                    (教育調査研究所)
・学校の条件                       下村哲夫著 (学陽書房)
・デザイナーとしての教師アクターとしての教師  吉崎静夫著 (金子書房)

《岡部文雄先生のプロフィール》

1935年(昭和10年)郡山市に生まれる 県立安積高等学校 福島大学学芸学部卒業 郡山市立行健小学校を振り出しに 福島大学教育学部附属小学校文部教官教諭 県教育庁県中教育事務所指導主事 郡山市立金透小学校教頭 郡山市立海老根小学校長 福島大学教育学部附属小学校副校長などを経て 郡山市立芳山小学校長(定年退職)


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