福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.127(H11/1999.7) -007/042page
II 総合的な学習の時間の指導と教科の時間の指導とのかかわり
齋藤 なるほど、お聞きしているとお話しはよく分かるのですが、でも、専門的に深めていく手法といいますか、そういう追求の在り方を各教科等の学習によって身に付けることも大切なことと思います。「総合的な学習の時間」における子どもたちの学習活動と各教科の時間における学習活動とはどのようなかかわり方をするのが望ましいとお考えでしょうか。
高階 物事を総合的に考えるという視点というものを考えてみましょう。何かある学習対象に対して、今までは一つの答えを出す、正解を求める場合にそれで正しいと言われてきたのだけれど、現実の物事を考えていくと一つの見方だけでは不十分で、様々な面からの見方というのが必要になってくると思うのです。で、そういう点では答えがないとか答えが多様に出るとかということは世の中には様々にあるわけですから、そういう点で、答えが一つしかないということで解答を求めるような学習でなく、様々な答えが見い出せたり、他人というのは違った考え方をするものだということが分かるような学習の仕方、一つの問題を追究していく時に様々な考え方、見方、科学的な判断、そういったものが必要だということで考えていけばいいと思うんですね。
齋藤 総合的な学習の時間における活動が各教科で獲得した知識・理解・技能といったものを総合して課題に立ち向かうという活動であるのに対し、各教科では条件をせばめることで課題を克服しようといった意味あいに受け止めた場合、双方の取り組みの方向がまったく逆になっているため、ぷっかり合うといったことも考えられると思いますがどうでしょうか。
高階 ぷつかり合うということがどういうことかよく分からないのですが、私は教科の性格と総合的な学習の時間の性格はかなり違うと考えています。教科の場合は、学習指導要頷に、目標と内容がきちんと示されています。それは、例えぱ小学校3年生であれば学ばなければならない対象、すなわち目標・内容というものが厳然としてそこにあって、それがナショナルカリキュラムとしてみんなが学ぷことが必要なんだというふうに構成されている。それが教科ですね。総合的な学習の時間はそうではなくて、全体として一律に学ぷということはいらない。一律な目標内容はなくていい。その学校にとってとか、その子どもにとっての課題とか目標があればいい。課題とか目標はないわけではない。しかし、もっと個人的なそういう課題、あるいは学校としての課題があればいい。ですから、例えぱ小学校4年生で車椅子体験をして中学校3年生でまた車椅子体験をして、というようなことは起こりうるわけですね。だから、生徒の発達に応じてこれだけのことを教えなさいという学年一律に決めていた目標・内容の枠がとれて子ども自身が自分の目標を追究していくような学習に換えていく。そういう点では教科とがらりと違っているではないかと思うんですよ。