福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.127(H11/1999.7) -008/042page

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だから、総合的な学習の時間というのは対象が様々にあるわけですが、教師が国際理解はこういうのですよ、環境はこうですよ、と先取りして子どもに教えるというのではなくて、子どもが様々な対象を自分で学んでいくのだからAという子の課題解決とBという子の問題解決が違って当然。しかも教師は、ある一定のレベルまでみんなを引き上げようとは考えなくてもいい。それで何が大事なのかというと、一律な目標・内容ではなくて、まずは子どもが自分から学ぷ、自己実現ですね。そのことが大事で、それから自分が学んでいった時に、自分が何を身に付けたかという学び方、ものの考え方、問題解決の仕方、そういうものを身に付ければいいということなんですよね。だから、そういう点で教科でも自己実現を図ろうとしたり、学び方を身に付けようとしたりしたんだけれども、教科は目標・内容が優先される。それだけでなく単元が決まっていて、一年間でこれだけのことを学びますよということが決まっているために、十分に自己実現を図ったり学び方を身に付けるということがないままに次の単元に移ったり上の学年にあげたりしてしまっている。そういう点で教科はその教科の基礎・基本は学ばせるけれど、本当の子どもの自己実現や学び方が十分であるかどうかということに関しては、今のところ様々な反省があるわけですね。
 それに対して総合的な学習の時間は、目標・内容が一律でありませんから、それぞれの学校で取り組む、あるいは子どもたちが取り組む課題に応じて追究していきますから、単元というものを求めても、それは追究の仕方によって一年間同じ単元を追究していくということも可能になってくるんですね。その中で自分でやりたいことを発見する。それを追究していくものだからそのプロセスの中で学び方を身に付けるのではないか、そういうことを期待しているんですよ。

III 小学校中学年の総合的な学習の時間は生活科とどうかかわるのがよいか
齋藤  分かりました。ところで「総合的な学習の時間」は小学校においては3年生から始まることになっています。このことは当然、1・2年生時の生活科とのかかわりを意識する必要があることを示していると思いますが、生活科をどのように発展させたところに「総合的な学習の時間」があると考えるのがよいとお考えでしょうか。
高階  一応は、生活科と総合的な学習の時間の関連性というのは課題となるのですが、若干性格が違うんです。何かというと、生活科というのは教科とされている。つまり、目標や内容がはっきりあって一律に学ばなければならないとされている。それから、生活科で学んだ成果が理科につながる、社会につながる、というような形で一応つながる先が明らかにされているということがあるんですよ。で、自己認識ということもあるから、そういう点では総合的な学習の時間にもつながっているという要素もあるんですけれど、教科であるためにその点では総合的な学習の時間とは性格が少し違っている。生活科としてのねらいというものを十分踏まえなけれぱならないということになっているのです。
 でも、活動はどうかというと、活動形態はかなり総合的な学習の時間と似ているんですよね。その点で教科の性格の中にも活動形態が似ているものもありますから、そういうものを生かしていくという点では生活科を総合的な学習の時間への発展として生かしていくとか近づけると


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