福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.127(H11/1999.7) -009/042page

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か、そういうことは可能ではないかと思うんですよね。

IV 小学校と中学校で同じような活動をすることになってしまうことに対する心配
齋藤  内容的にはかなり違うのですが、以前、「創意の時間」が創設された折に、小学校と中学校とが共に地域理解のためのフィールド・ワークや職場見学を実施した結果、小学校と中学校の内容がダブってしまい、二度目、三度目となった子どもたちが新鮮味を感じなくなってしまった、といった話を聞いたことがあります。「総合的な学習の時間」を実施していく場合、子どもたちの発達段階に応じた内容を準備できないと同じようなことになってしまうのでないかと心配されます。「総合的な学習の時間」における学習課題を考える際に留意しなければならない点にはどのようなことがあるのでしょうか。
高階  総合的な学習が始まってそれぞれが実践していくと、小学校と中学校でそれぞれ似たような活動をやるということがありますね。あるいは、一つの中学校に二つの小学校からあがってきた場合に、一つの小学校では車椅子体験をやっていたけれど、もう一つの小学校ではやっていなかった、といったことがあるかと思うのです。そういうことがあると発展性とか系統性が考えられないから中学校で指導する時に問題になるんではないか、とそういうふうに考えられやすいんだけど、実はその学年なりの取り組みの中で生徒が何を必要としているかということがあるわけですね。その場合に、福祉ボランティアということで車椅子体験をもう一度取り上げたい。ところが片方の学校はやってきているのだから、そういう子どもたちは二番煎じになるんではないか、学習があまりおもしろくなくなるんではないか、あるいはまた、効果性がなくなるんではないか、などの懸念を考えるんですが、実は社会一般のことを考えると、社会の中の様々な人たちというのは、ある人は車椅子体験をし、ある人は車椅子体験をまったくしていない、知らない、あるいは動かし方をまったく知らない。そういう人がたくさんいるわけです。ですから、総合的な学習の時間は社会に触れ合うということであれば、隣の仲間は車槁子体験をまったくしていなかった、自分は体騒している。つまり、経験している生徒が経験していない生徒にどう対応するか、経験していない生徒が経験している生徒からどんなことを学び取るか。そういう違った経験をしている者どうしが集まるのが社会ですから、社会の関連の中で同じような課題を共有するわけですね。社会の中では様々な人間がいて体験だって様々です。教科のように一律に学んでくるわけではないですから、そういう違った人と触れ合った時にどんな活動を組織していくのがいいのか、というふうになるわけです。そうすると、小学校の時はみんな一様に経験していないからそこからスタートだった。ところが中学校は経験している者と経験していない者とがいてそこからスタートする。そういう場合にどんなことを発展的に考えていけばいいのか。そういう場合がでてきますよね。だからこれは社会を学ぷしくみの中での学習だと思えばいいんです。だから、進んだ子は「車椅子を動かすんだけれどやってみないか」とやれない子にアドバイスするかも知れないし、じゃ自分は経験しているから外に出て車椅子体験をやったらどういうふうになるかということで実際に歩いてみて、どんな障害があるかを調べてみるとかですね、発展させる


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