福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.127(H11/1999.7) -020/042page
訪れ、A子と話しをする時間を作っていました。
A子から、F先生にいろいろ話しかけてくることも多くなってきました。そんな中でA子が求めていたものは何だったのかはっきりしてきたのです。そして、ふと学級会のことが思い出されました。
F先生: A子ちゃん、ずっと前の学級会の時、考えをまとめてきてくれてありがとう。とってもいい意見だったのに………。 A 子: ………。先生、もう、いいよ。 傷ついていたA子の心がゆるやかにいやされはじめてきたのも、このころからでした。
一人でA子を訪れていたB子が、数人の友達を連れてくるようになったのは数日後のことでした。このことは、A子に了解済みだったらしく、数人の友達に囲まれてうち解けるA子の姿が見られました。数人の友達に誘われて、給食を教室で食べるA子の姿が見られるようになったのはそれから2日後でした。
F先生は、いつでもA子が教室に戻ってこれるように準備していました。また、A子をはじめクラスの一人一人はかけがえのない存在であること、さらにその子の「よさ」があることを話してきました。
A子が教室の仲間のもとへ戻れたのはどうしてか、いくつか考えられます。その中で、担任のF先生、家族、友だちがA子の気持ちを分かり、心からかかわってくれたことは大きいと思われます。
A子とのかかわりの実際から A子の場合、悩み傷ついている心を表現することができず、それが登校時の腹痛という身体症状の形となって現われました。この時、母親は「もしかすると不登校では…。」と思い担任に相談します。不登校初期の特徴としての事実を、母親と担任がしっかりと認識したのでした。「きざし」はA子からの助けを求めるサインと判断し、担任は母親との緊密な連携のもと、校内組織の支援を受け、A子の問題の原因を探り当てるべく情報収集に努めます。 担任が、A子のつまずいているところまでさかのぼり明らかにできたことは、A子を「私は、だめな自分なんだ。」と自己否定に陥らせていくその誘因を、担任が気付かないうちに与えてしまっていたということと、教師としての至らない自分への気付きでした。 学級では期待されていたはずのA子自身が、次第にそうでなくなっていく辛さを肌で感じながらも、そのやりきれない気持ちを、担任、学級の友だち、母親のだれにも打ち明けられず、A子は一人で悩んでいました。そのことを、担任と母親はしっかり受け止めたのです。 「だれも私の気持ちなんかわかってくれない。」と思っていたA子でした。その自分の気持ちを、担任と母親がしっかりと受け止めてくれ、寄り添ってくれていると気付いた時を境にA子は少しずつ自分を取り戻していけるようになっていきます。 保健室で養護教諭の手伝いをして、ほめられ、認められることでA子は、自分に気付いていきます。B子や学級の友だちが心からかかわってくれることでA子は、自分以外の人にも気付いていきます。こうした自己、他者理解の深まりがA子の自信回復を早めていったと思われます。