福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.138(H15/2003.2)-003/036page

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れるであろうことを覚悟した僕でしたが、父は怒ることなく、穏やかに聞いたのです。「何故こんなことを…。」と。僕は答えました。「いじめられるのが怖かったから。」と。しかし、父は静かに言ったのです。「それも少しはあったかもしれないが、自分自身がやりたくなかっただけだよね。」と。お見通しでした。まったくその通りで、父にはかなわないと脱帽したのです。

不肖の僕も、やがて高校に入学し、その2年生の時にフォークソングに目覚めます。僕のバンド『阿呆鳥』は、その年の秋の文化祭でデビューとなりました。その時の演奏が好評で、あっという間に人気を博した僕達は、その冬に、大きな市民会館でのコンサートを企画しました。多くの友人達が手を貸してくれ、もちろん父達も協力してくれ、800枚というチケットがほぼ完売で、後は当日を迎えるばかりという所まできて、校長先生を筆頭とする、生徒指導の先生数人に呼ばれ、君達はとんでもないことをしてくれたと叱られ、今すぐ800枚のチケットを回収しなさいという命令が下ったのです。意気消沈のまま、何故叱られたのかもわからないままに、家に帰ってそれを話すと、父が翌日学校に来てくれて、先生達の前で、何故子供達の夢を壊すんだと怒り、何か起こっても学校には一切関係ないという約束の中で、このコンサートは実行されたのでした。

今にして思えば、今こうして僕が音楽に携わっていられるのは、そんな父の子供に対する強い意志と、考えがあったからのように思えてなりません。僕に詩を書きなさい、歌を歌いなさいと叫んでいる父の声が、今も聞こえているようです。

休日になるとソファーに横たわり、ブランディーをロに遊ばせながら、本を読んでいた父。僕が側を通ると、「本を読めよ。」と、ロ癖のようにいっていた父。父を真似ている自分が今ここにいます。自分の息子に「本を読もう。」と、話しかけてる自分がここにいます。

○ 自分を見つめ直して

僕はこんなに長い文章を、今だかつて書いた記憶がありません。大学でも、音楽のためと称して、卒論のない学部を選んだくらいですから。正直いいまして、苦痛でした。しかし、ここまで書いてきて、反面今はよかったと感謝さえしています。大好きで、今も僕を見守ってくれていると信じてる、父のことが書けたからです。ありがとうございました。

最後にもう一言だけ書いて、筆を置きたいと思います。僕は普段から、自分の生命が今輝いているだろうか、それくらい精一杯生きているだろうかと、自分に問う癖があります。それは何故かというと、父がこの世を去った年令に僕が限りなく近づきつつあるから…。というより、先にも述べたのですが、明日、何が起きても不思議ではない世の中であるなら、明日、僕がこの世を去っても、不思議ではないということではないか…。それを見つめ出したら、過ぎゆく時間が愛おしいし、僕は何故生まれてきたのかとか、何故ここに存在し、生きつづけねばならないのかとか、もっともっと多くの事について考えていかなければならないような気がするのです。今教育に必要なのは、もしかしたらここなのかもしれません。制度をいくら変えても、心の有り方が変わらなければ、何も変わりはしないのです。

菊池章夫様のプロフィール
1956年5月23日いわき市生まれ。フォークグループ『阿呆鳥』を結成。『物語』でデビュー、全国的に注目を浴びる。1986年、ファイナルコンサートを最後に解散。1996年6月『あいつとビートルズ』で再デビュー。現在は、ラジオ、テレビ、学校での演奏や講演で活躍。石川町に妻と10歳と3才になる男児の4人住まい。マイホームに設置した練習スタジオで曲作りに励んでいる。


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