教育福島0073号(1982年(S57)08月)-014page
計画がしっかりしていて、しかも前時の終末時に次時の学習予定が確認されていれば導入に十分も十五分も費す必要はなくなるはずである。
(二) 「わかる」「できる」授業の展開
児童生徒が、学習に喜びや充実感を味わう機会は様々あろうが、その中心は何といっても今までわからなかった事がわかり、できなかった事ができるようになった時である。
1 児童生徒にとって到達可能な目標の設定
子どもがいくら努力をしても、手の届かないような目標を掲げていたことはなかったかどうか検討する必要がある。
教師が「ここまではぜひ」と意気込んでも、児童生徒の力の及ばない目標を設定してしまっては、学習は出発の時点からつまずいてしまう。
児童生徒にとって、到達可能な目標を設定するためには、次の点に配慮する必要がある。
・児童生徒一人一人の現在の力をしつかりと把握しておく。
・目標の設定にあたっては、個々の児童生徒の声を反映させる。
・学習の終了時に、目標に到達できたかどうか、子ども自身がわかるような、いわゆる行動目標的な掲げ方をしておく。
・学習のステップをできるだけ小さくし、一歩一歩着実に学習を進めることができるようにする。
2 基礎的・基本的内容の定着
学級の児童生徒の全員が、どの授業についても「わかった」「できた」といえるようにするのは、むずかしいことであろう。
しかし、各学年のそれぞれの教科において、これだけは……という内容が必ずあるはずである。
それらについては、いわゆるマスターラーニング的な考え方で、全児童生徒に、確実に習得させなければならない。それには、次のような手順をふむ必要がある。
・各教科、各学年の基礎的・基本的内容は何かを洗い出す。
・それらを身につけさせるのに最も適した方法を考える。
・指導を徹底する。
・絶えず評価し、具体的に、どの児童生徒がどこまでどの程度でき、どこでつまずいているかを見いだす。
・つまずきの原因を考える。
・つまずきを取り除く方途を考える。
・練習の機会をできるだけ多くする。
3 学習成果の意識化
体育、保健体育や図工、美術のように、自己の能力の高まりや作品のできばえが目に見えるものについてはさほど問題はないが、文章表現力の高まりや社会的事象についての認識の深まり等については、児童生徒自身には、とらえにくいものである。
そうした学習では、自分の成長の度合いがわからないことから、学習への音心欲もうすれがちになる。
教師は、児童生徒の学習の成果をできるだけ目に見えるものにするよう工夫しなければならない。
例えば、
・学習の開始時と終了時の姿を対比する。
音読などはテープレコーダーを利用し、学習開始時の読み方と現在の読み方を比較し、内容を深く読み取つた後の音読が、いかにすばらしいものになっているかを子ども自身に気づかせる。
また、社会的事象や自然現象についての認識の深まりなどは、学習開始時の記録(自分の考えをまとめさせておいたもの)を見直させることによって、現在の考え方がいかに深まってきているかを理解させる。
いずれにしても、ここでは、VTR、テープレコーダー、ノート、作品など視覚や聴覚に訴える方法によるのが効果的である。
このような教師の工夫によって、児童生徒が成功感や成就感を味わい「なるほど確かに学習しただけのことはあった」「苦しくてもがんばってよかった」「よし、これからもがんばるぞ」と、瞳を輝かせて次の学習へ立ち向かう姿を期待したい。
(三) 主体的な学習を促す授業の展開
「授業の主体者は子どもである」ということについて、疑義をはさむ教師はいない。
しかし、現実の授業の展開をみると主体者であるはずの児童生徒は完全に受け身で、教師が中心となっている授業が相変らず目につく。子どもが学習の主役になるような授業は、どのようにしたら実現できるか、という課題に真剣に取り組まなければならない。
1 授業観の変換
授業は、教師が、価値ある内容を児童生徒に与え授けるもの……という考え方から、子ども自らに学ぶ取らせるもの……という考え方に変わらなければならない。しかし、現実の授業は、どうしても教師主導のパターンから脱しきれないでいる。
教科の科学として大系があって、それを教師の熟達した手腕で子どもたちに与えていく……という授業観を改め教師は、授業における自分自身の姿を直視し、どこをどう変えていかなければならないのか、次のような視点から反省することが大切である。
・学習の計画立案に当たって、児童生徒の意見が取り入れられているか。
・教師の発問、解説などが多過ぎないか。
・児童生徒が調べ,考える時間が十分確保されているか。
・児童生徒の意見が、授業の展開を変えるほどに、自由に取り上げられているか。
・学習が、一問一答の単調なやりとり