教育福島0107号(1985年(S60)12月)-020page
に御屏風に龍田川に紅葉流れたる形をかけりけるを題にてよめる
そせい
もみぢ葉の流れてとまる水門には紅深き波や立つらむ
330雪の降りけるをよみける
清原深養父
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
552題しらず
小野小町
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
747五条后宮の西の対に住みける人に、本意にはあらでもの言ひわたりけるを、正月の十日余りになむ、ほかへ隠れにける。在り所は聞きけれど、えものも言はで、又の年の春、梅の花盛りに、月のおもしろかりける夜、去年を恋ひてかの西の対にいきて、月の傾くまであばらなる板敷に臥せりてよめる
在原業平朝臣
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
(資料2 参考とした歌)
46寛平御時后宮歌合の歌
読人しらず
梅が香を袖にうつしてとどめてば春はすぐともかたみならまし
47 素性法師
散ると見てあるべきものを梅の花うたてにほひの袖にとまれる
48題しらず
読人しらず
散りぬとも香をだにのこせ梅の花恋しきときの思ひでにせむ
51題しらず
読人しらず
山桜わが見にくれば春霞峰にも尾にもたちかくしつつ
54題しらず
読人しらず
いしはしる滝なくもがな桜花手折りてもこむ見ぬ人のため
62桜の花のさかりに、久しくとはざりける人の来たりける時によみける
読人しらず
あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人もまちけり
63返し
業平朝臣
今日こずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや
324志賀の山越えにてよめる
紀秋岑
白雪の所もわかず降りしけばいはほにも咲く花とこそ見れ
331雪の木に降りかかれりけるをよめる
つらゆき
冬ごもり思ひかけぬを木の間より花と見るまで雪と降りける
335梅の花に雪の降れるをよめる
小野篁朝臣
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく
336雪のうちの梅の花をよめる
紀貫之
梅の香の降り置ける雪にまがひせば誰かことごとわきて折らまし
(資料3 「伊勢物語」)
・むかし、東の五條に大后の宮おはしましける、西の封に住む人ありけり。それを本意にはあらで心ざしふかかりける人、行きとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。ありどころは聞けど、人のいき通ふべき所にもあらざりければ、なお憂しと思ひつつなむありける。又の年の正月に、梅の花ざかりに、去年を戀ひていきて、立ちて見、みて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる。
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
とよみて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣く歸りにけり。(4段)
・年ごろおとづれざりける人の、櫻のさかりに見に来たりければ、あるじ、
あだなりと名にこそたてれ櫻花年にまれなる人も待ちけり
返し
けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや(17段)
・むかし、をとこありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自まめに思はむといふ人につきて、人の國へいにけり。このをとこ、宇佐の使にていきけるに、ある國の祇承の官人の妻にてなむあるとききて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけとりて出したりけるに、肴なりける橘をとりて、
五月まつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする
といひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて、山に入りてぞありける。(60段)
(日本古典文学大系と日本古典文学全集による)
理科
生物教育における雑誌講読学習が学習意欲の喚起によい影響をおよぼした指導例
県立内郷高等学校
教諭 古内栄一
一 緒論
少年時代の原体験のなかで生物学を含む科学雑誌の影響が強かったことを覚えている。昭和二十年代前半の活字に飢えた当時、活字だったら何でも読んだなかで生物学・科学記事はやさしい読物でなかったが、背伸びしながら渇をいやした満足感と疲労感は楽しい思い出で、あらたな意欲を湧出させた。それはやがて進路を左右する結果となったことは紛れもない事実である。今