教育福島0124号(1987年(S62)09月)-028page
「早く子どもさんのところに帰ってあげなさい」の一言。
さりげない言葉ではありましたが、私には校長先生の優しさと厳しさがじかに伝わってくるように思われました。私は気持ちが安らぎ、精神的にとても楽になったように感じました。反面、その時から勤務時間を大切にし、与えられた時間内でどれだけ勝負することができるかを考える契機を与えられ、気がひきしまるのをおぼえました。
その後、子育ての十年間も終り、蓬莱中に勤務することになりました。私はすばらしい女子バスケット部の生徒たちに出会いました。彼女たちはまったくバスケットボールの知らなかった私を、いつの間にかそのとりこにしてしまいました。
一年中、ほとんど休みなく練習に励み、対外試合に東奔西走したものでした。学級作りの楽しさとはまた違った味の教育の世界がそこにはありました、「汗と涙と情けをともにした者同志にしか分からない感激」があったのです。同僚の先生方は、家庭のことや我が息子のことを察して心配してくれましたが、私の心の奥には、子育ての十年間への感謝の気持ちとあの校長先生のことばがあり、蓬莱にいる間は、どうしても「女子バスケット部を守ろう」という固い気持ちを強く持ち続けました、県大会二年連続優勝。生徒たちが優勝旗を手にするたびに感激を新たにしました。
今、しみじみと十八年間の教員生活を振り返り、あの辛かった時にかけていただいたさりげない一言、私にとってそのことばは生きた財産となり私を支えてきてくれました。感謝しております。これからもこの財産を大切にしこの福島二中でもがんばっていきたいと考えています。そして、あの校長先生のような心の通ったことばを一人一人の生徒にかけてあげたいと思う毎日です。
(福島市立福島第二中学校教諭)
夏休みの一日
西間木薫
夏休みが楽しみなのは、なにも子どもたちだけのことではない。生徒が休みに入ると、われわれにも多少時間の余裕ができて、日頃想い描いていたあれこれに手を染めることができるようになる。とくに時間不足から断念してきた問題に取り組むことができるのは、無上の楽しみと言わざるを得ないだろう。
昨秋、一通の手紙をいただいた。須賀川に住まわれるOさんというかたからだが、私の父の旧くからの知人で、年齢も同じぐらいと思われる。須賀川に所在する、ある「画像板碑」に関する確認の連絡であった。
いきさつはこうである。Oさんは家業のかたわら、「板碑」の研究にながく携わってきておられる。一昨年のことだったか、たまたまお会いしてお話をうかがう機会があった。県南地方の「板碑」についてうかがう間、分布の空白地域については情報が少なく、いかに発見が困難であるか、さらにほとんど独力で研究を進めることの苦労話を聞くことができた。
これより一年ほど前まで、私は文化センターの遺跡調査課に出向して、主に県南の分布調査に係わって仕事をしていた。 「板碑」についてはほとんど無知であるが、調査で歩き回っている間に何基かに巡り会ったことがある。この程度の知識では何も有効な情報を提供することはできなかったが、仕事がら入手した資料もあり、調べてみることを約束して別れた。
その後、お上げした資料により、Oさんは丹念に歩かれたのである。大半は不明あるいは位置の変更だったようであるが、ただ一個所で新しい発見に繋がったとのことであった。
手紙には、写真が添えられており、残念ながら年紀・刻文などなく、時代を明確にできないが、当地方ではあまり類例のない「弥陀一尊坐像」を刻む「画像板碑」で、鎌倉期に入るのではないかということであった。
八月になって、ようやく用務から解放された。何度となく地図で位置を確認したにもかかわらず、自分で設定した目印を発見できず数回入り直した。丘陵頂上の山林のなかに静かな佇を見出したのは、捜し出してから一時間ほどたってからのことであった。周囲が奇麗に掃除されているのは、お盆が近いからで、何代にも渡ってお守りしている人々の信心が感じられた。立地する丘陵西麓には、木立ちを透かして集落の家々が散見される。写真からほぼ
庶民の歴史を語る画像板碑(須賀川市)